フリートーク

認知症になった晩年の母はむしろ幸せだったかもしれない

こんにちは、亡き父から教わったことは「車がぶつかりそうになったらブレーキを踏め」だけだったキタムラフユトです。(もっと他に何かあるだろ!)

そんな父は(どんな父だ?)今の僕の年齢の時にガンで亡くなりましたが、母は86歳まで頑張って生きました。

働き者で話し好きな人だった

うちの母は幼い頃に母親を亡くし、家もチョー貧しくて苦労して育ったようです。

そのせいか、実家のことは「恥ずかしい」と言って、僕ら子供たちを連れて行ったことも数えるほどしかありません。(見るからに貧乏な家でした 笑)

その代わりに、何かあれば歳の離れた長姉のおばちゃんを頼っていたようです。

自分は満足な教育を受けられなかったからと言って、兄(長男)が大学へ行きたいと言えば無理をしてでもお金を工面したし、僕が勝手に大学を辞めてしまった時はたいそう残念がったようでした。(ごめんよ、母ちゃん)

貧しい家から嫁いだ先(つまりうち)も結構な貧乏一家だったらしく(笑)、姑がいない代わりに小姑が二人いて、自分の子供3人を育てながらその二人を嫁に出した後、東京帰りの義理の末弟までも婿養子に出したので、一家の母親代わりとしても相当大変だったと思います。

工場勤めと家の田畑の兼業、僕たちが大きくなってからは冬場の出稼ぎに行ったりもしました。
なので、ゆっくり休んでいる姿をあまり見た記憶がありません。
昔の人はすごいなぁと思いますね。

そんな多忙な日々の中でも僕たち子供には優しく、また、話し好きで社交的な部分もあって職場や地域では慕われていたようです。

さらに苦労をかけた兄と僕

僕の兄は(僕から見ると)ちょっと変わっていたというか、いわゆるガリ勉タイプでいつも勉強ばかりしている人でした。

何になりたかったのか子供の僕には分かりませんでしたが、中学で一番の成績をとって県内一の進学校に進んで一流の国立大に入るという目標に向かってひたすら頑張っていたようです。

ただ、高校まではすんなり行けたものの、国立のしかも5本の指に入るような大学はさすがに壁が厚かったのか、それより何より自分の実力をかなり過信していたフシもあり、二浪した末に一流どころを諦めてグレードを下げた大学に入りました。

目標通りに行かなかった挫折感からか、そこから迷走を始めることになります。
せっかく入った大学を途中であっさり辞め(兄弟揃って何やってんだ!)、俳優を目指してみたり海上自衛隊で船に乗ってみたり(笑)、ローカル紙の記者をやったり発明家を目指してみたりと、次から次へと目標をくるくる変えては挫折の繰り返し…。

ただ、学習能力は高かったので最後はコンピューターのプログラマーの職を得て、やっと生活も安定したと思ったのもつかの間、今度は自動車で自損事故を起こしてしまいます。
しかも打ち所が悪かったらしく、時間が経つにつれて徐々に体調が悪化して働けなくなったため、母が東京へ行って病院の介護助手をして働きながら兄の面倒をみることに。

そこから4年ぐらい経った頃でしょうか。
母の頑張りもむなしく、兄は40歳の若さで突然亡くなりました。

僕は僕で、商売向きではないのに自営でなんとかやってはいましたが、見通しの甘さから大きな仕事を他社に奪われてしまい、一気に経営が悪化して、母には随分と迷惑をかけてしまいました。
母が東京で頑張って貯めたお金や年金も、僕が食いつぶしたようなもんです。

学校時代は一番パッとしなかった真ん中の姉(笑)だけが、幸せな結婚をして順風満帆な人生を送っているので、結果的に一番親孝行だったことになるのですが、皮肉なことに母とは会えば喧嘩ばかりしていました。(女同士はムズいっすね)

やっと安らかな老後になるはずが…

母や姉夫婦の助けを借りてなんとか持ち直した僕は、これからは母の望むことは何でもしてやろうと、下僕のように(笑)パシリをやりました。
母には兄ともども散々迷惑をかけたので、せめて晩年は少しでも罪滅ぼしをしたいと思っていました。

ですが、ある時から徐々に様子がおかしくなり始めたのです。

初期段階としてはまず、自分のお金が無くなったと騒ぎ、盗んだのはお前だろうと僕に突っかかる。
その時点ではまだ、それが病気のせいだとは思わないので、盗った盗らないで喧嘩になる。
そうかと思えば数分後には笑顔で謝りに来る、みたいな感じ…。

次は水道の蛇口を開けっぱなしだったりガスの火を点けっぱなしで離れて鍋を丸焦げにしたり…。

この辺りからだいたい病気(認知症)を疑い出すわけですが、知り合いのケアマネージャーさんに相談して調べてもらうと、やはり要介護状態が近いようでした。

続いて、目を離した隙に徘徊してみたり、夜中に所構わず床にオシッコをしたり、しまいには息子の顔も嫁の顔もわからなくなっていくという…。

怖いですよね。
そして・・・哀しいことです。別の人格に乗っ取られた感じ。

家での介護はいよいよ難しい状態になって、最後は施設のお世話になることになったのですが、そこの職員さんがとても良くして下さって、息子の僕なんかよりよっぽど頼りになるし、家にいるよりも幸せに見えました。

僕は月に一回ぐらい顔を見に行く程度でしたが、足取りは毎回重かったですね。
話しかけてももう、どっかの知らないおっさんが訪ねてきた—ぐらいの反応だし、それに比べていつも面倒を見てくれている職員の方に対しては愛想がいいので、結構傷つくんですよね。

まあ、病気なのでしょうがないし、何もわからなくなることがあながち悪いことでもない気もするので、むしろ安らかな最期だったと、思うようにはしていますが…。

今回も無駄に長文になってしまいました。
お付き合いいただき感謝します。

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