フリートーク

中学の半分が不登校だった長女の今【2】

(前回からの続きです)

或る日突然、学校に行きたくないと言い出した娘—。

母親の何気ないひと言

はじめは数日休む程度だろうとあまり重く考えなかったのですが、一週間経っても登校する様子はありません。

僕の方はもう腹をくくっていて、行きたくないものは無理に行かなくていいという考えでしたが、母親が本人の前でポロっと言っちゃったんですよね、本音を。

「お母さんは…恥ずかしいな。学校に…行って欲しい」

これには僕の方がガッカリしたと言うか、この期に及んで我が子の気持ちよりも世間体を優先かよ!っていう…。
まあ、彼女は保育士で娘は自分とこの卒園児でもあったから、同僚の手前かっこ悪いという事情もわからんではないけど…。

その一言がきっかけかどうかは別にして、親子による会話の糸はプッツリと切れてしまい、娘は自分の部屋に引きこもるようになってしまいました。

奥さんの名誉のために言っておくと、この人は学校時代から生真面目な性格で、仕事も常に全力投球という感じなので、学校を何日も休むということが考えられなかったのかもしれません。

仕事を頑張りすぎるところがあって、家に帰ると横になってぐったりしていることもよくあり、家庭のことは二の次の“お父さんみたいな感じのお母さん”でしたね。笑
(頑張りすぎのお手本は母親だった?)

ネットにのめり込んだ日々

ちょうどインターネットが家庭レベルで普及し始めた頃で、娘にはデザインが可愛かったAppleの初代iMacを買ってあげていたのですが、引きこもった娘にとっては“ネットが友達”の生活が始まります。

直接顔を合わせて話すこともままならない状態なので、僕は伝えたいことを何度となくメールにしたためて送るようにしました。
同じ家に住んでいる親子がメールでやり取りしているなんて変な話ではあるのですが、さしあたって会話の手段がそれしかなかったので。(ていうか、それがあってまだ良かったかも)

どんなことを書いたのかはさすがに覚えていませんが、説教調にならないように気をつけながら、自分の素直な気持ちをストレートに書いたと思います。

返信は来るのですが、前向きな言葉はほぼ無かったと思いますね。
そりゃそうですよね。苦しいけど答がないから逃げているわけで。
自分で悪い方悪い方へ持っていくような感じの返信だったと思います。

親の言葉は響かないことが分かったので、この際、第三者の力を借りるしかないと思いました。

心療内科系の病院を調べて連れて行こう—と。

行くのを嫌がるかと思いましたが、本人もこのままではいけないと思っているようで、意外にあっさりと応じてくれました。

ただ、2軒、3軒とはしごして(酒飲みみたいだなw)みても、いざ診察になると本人がほとんど口を開かないので、おざなりの薬を処方されるだけで埒があきませんでした。

ネットで調べているのか、娘がいろんな薬の名前や効能までよく知っている様子で、ちょっと怖いなと思いました。
のちにリストカットの真似事をしていたこともわかって、その時はさすがに叱りつけましたね。
軽くではありますが、我が子に手を上げたのは後にも先にもその一度だけです。
情けなくて、親子3人で泣きました。

さて、4軒めくらいにやっと、いい感じのカウンセリングの先生に出会い、少しではあるが本人の思いを引き出してくれた感触があったので、しばらく通ってみることにしました。

ネットでの出会いから徐々に変わり始めた

娘がネット上で誰とどんなやり取りをしていたのか知る由もありませんが、どうやら互いに分かり合える相手を見つけたようで、ほぼ無色だった表情に色がつき始めた感触がありました。

チャンスだと思ったので、気分転換に家族4人でカラオケに行こうと誘ったら素直についてきてくれたのですが、その時に歌った娘の歌に僕は衝撃を受けました。

とてもとても、上手だったんです。
僕も曲がりなりに歌っていた時期があるのでわかるのですが、レベルが一段違っていました。(誰に似たんだろう???)

声に説得力があるとまでは言えないかもしれないが、特別な声の持ち主であることは間違いなくて、僕のアマチュアレベルのヘタウマなんかとは比べるべくもない上手さでした。

褒めるのはココだココしかない!と。笑
いやもう素直に「この子の歌はいける!」って直感的に思ったので。

長男の方が音楽好きなのはわかっていましたが、歌に関してはクセが強めで大したことはなく(笑)、ただ彼には作曲や編曲の素養があったので、僕と同様、妹の歌唱力の凄さに気づいたはずです。

意外に仲の良い兄妹が動き出す

休んでいる間、娘は文章や詩も書き溜めていたようで(時間だけはあるのでねw)、僕らの知らないところで兄妹による曲作りプロジェクトが動き出していたようです。

やがて娘の心情を込めた歌詞に兄が曲をつけ、部屋の押し入れに特設のレコーディングスペースを設けて歌を収録、自主制作CDの第一弾が完成しました。

歌詞の内容は暗いながらも、曲も歌唱もプロ並みに素晴らしくてびっくりしました。

性格も行動パターンも真逆の兄妹ですが、小さい頃からなぜか仲は良かったんですよね。
普通のことが普通にできない兄ではあるけど、妙に頭の良い部分は妹も認めていたのかもしれません。
兄は兄で、小さい頃から元気だった妹にイジられるのがまんざらでもないような…。笑

そして、だいぶ元気になってきた娘から「フリースクールに行きたい」という申し出が。
場所が長野でだいぶ遠かったのですが、思い切って行かせてみることにしました。

病院のカウンセリングを受けていた先生からは、まだ途中なのに勝手に通院をやめられては困るとお叱りを受けましたが、もう大丈夫だと思う、と言って通うのをやめました。

その判断が正しかったのかどうかは今もよくわかりません。
長野のフリースクールに二ヶ月くらいは滞在したでしょうか。(もっと短かったかも)
「もう…帰りたい」と、娘から連絡が来ました。

うまく馴染めなかったようです。
なかなか思うようには行かないものですね。

ただ、帰ってからも兄妹ユニットの活動は続いて、二人で次々に新曲を作り、僕が始めていた親父バンドのコンサートに出て堂々と歌うまでになっていました。
頼りなかった中学の担任教師も、コンサートに来て娘の変わりように驚いていました。

僕は父親として何が出来たかといえば、病院やカラオケに連れ出したぐらいのことで、実際に娘を穴倉から救い出したのは、ネットを通じて知りあった友人たちでありまた、音楽活動にうまく引きずり込んだ兄であったと言えます。

親って…意外に無力なんだな、と思い知りました。

やがて娘から「夜間高校に行きたい」という申し出があり、家から通える距離ではないので、母親が大事な仕事を辞めて娘を世話しながら二人でアパート暮らしをすることになりました。

この決断で、僕は奥さんを見直すことになりました。
娘の学校よりも自分の仕事を選んだとしたら、いよいよ夫婦をやめていたかも。笑
(それぐらい大きな決断だったと思います)

高校の合格発表を娘と見に行って、二人で大喜びした日のことは今も忘れられません。
また昔のように二人で笑い合える日が来るなんて、少し前までの僕には想像もできなかったので。

(またまた長くなったのでさらに【3】に続きます)

中学の半分が不登校だった長女の今【3】

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