フリートーク

中学の半分が不登校だった長女の今【1】

こんにちは、多くの人の世話になり足を向けて寝られなくなった結果、ついには“北枕”で寝るしかなくなったキタムラフユトです。

もう40年くらい前の話で恐縮ですが、我が家に長男(第一子)が生まれ、その3年後には長女が生まれました。
今日は主に娘と過ごした日々を振り返りながら、過ぎし日に思いを馳せてみたいと思います。
(決して悲惨な体験談ではありません、一応)

娘が小さい頃は“普通の子”だと思っていた

先に生まれた長男は極端なぐらいの「おばあちゃん子」で、というのも、母親が勤めに出ていて日中の子育てができないのをいいことに、おばあちゃんは彼を甘やかし放題。(それは世間によくある話。初めての内孫だしね)

おかげでとんでもなくわがままでマイペースな子に育ち、とりわけ幼児期から喘息持ちで度々入院することもあったので、病弱な孫に対し必要以上に手をかけすぎた代償が形となって現れた感じです。

長女が生まれた頃は、おばあちゃんは東京へ働きに出ていて家にいなかったので、長男の時のように面倒を見る機会はなく、そのおかげで(?)比較的“まともに”育った方だと思います。
ただ、長男だけを溺愛してきたおばあちゃんなので、長女に対しては反応が薄かったし、当然ながら娘の方もなついてはいませんでした。

長男が小学校へ上がる頃になると、徐々に「普通じゃないな、この子」と感じる場面が増えてきました。
協調性がなく周りの生徒たちと同じ行動ができない。
マイペースで自分が興味のあることしかやろうとしない。
時間を守ったり普通の子が普通にやる基本的なことが、そもそもできない。

そんな感じなので、授業参観に行った母親が恥をかいた的なエピソードは数知れず。
それでいて、学習能力だけはなぜか高いという…。
(ちなみに母親も僕も特別に頭が良いわけではないので遺伝ではないと思うw)

自分が思っていることをストレートに言葉にできない、今風に言えば「コミュ障」の典型だが、波長の合う数少ない人とだけなら友達になれる…みたいな感じ?。(僕もうまく言えませんw)

上の子がそんな感じなので余計に、妹の方については「この子は…普通だなぁ」と、その頃の僕は思っていました。
実際、兄とは全く違って普通の子でしたから。

娘が小さい頃、僕は寝る前によく絵本の読み聞かせをしてあげていたので、母親よりも僕になついていました。

小学校高学年あたりから雲行きが…

やがて兄は中学へ、妹は小学生でしたが、高学年になって担任教師が若い男性になったあたりから少しずつ「難しい性格」が顔を出し始めたようには感じました。
とても仲良しだった女友達とある日を境に絶交状態になったり、担任の先生に反抗的な態度をとったり。

まあ、その程度のことは誰でも普通にあるだろうし、兄のように他の子と同じ行動が取れないわけではないので、特に心配はしませんでしたが。
ただ、プライドが少しだけ高いというか負けず嫌いな面が出てきて、やたら「頑張る」感じはこの頃からあったように思います。

平たく言えば、兄の方は「努力しない天才型」で、妹は「努力を惜しまない、やや優秀な凡人」という感じ。

兄の方は中学でも相変わらずで、遅刻は当たり前だし生活はだらしないし、ただ、担任には恵まれてその頃から音楽の才能を表に出せるようにはなったようでした。(やっとコミュニケーションの手段を一つ得た)

中学に入ってカベにぶち当たった娘

3歳差なので、兄と入れ替わりに娘は中学へ。

はじめのうちは順調そのものでした。
仲の良い女友達二人と同い年の従姉妹と4人で同じ運動部に入り、勉強も頑張っていたようでした。

僕は自分が全然勉強しないタイプだったので、子供にも勉強しなさいとは一度も言ったことがないのですが、テストになるといい点を取ってくるので、「誰に似たんだろう…?」と不思議に思ったものです。

これは自慢でもなんでもなく、娘が「オール5の通知表」を持ち帰った時は逆に心配になりました。
そんな通知表はもちろん見るのも初めてだし、ガリ勉だった僕の兄でさえ体育とか芸術系は4か3だったと思います(笑)。

負けず嫌いな性格はわかるけれども、ちょっと無理して頑張りすぎてはいないか—。

かといって「頑張るな」とか「勉強するな」と親が言うのも変だし(苦笑)、せいぜい褒めすぎないように見守るのが関の山。
うっすら感じていた違和感の正体は、上の子と違って「普通の子」だと感じていた娘が「普通じゃない好成績」を取ってくることで、親としてそれを単純に喜んでいいのかどうなのかという…。

やがて2年生になり、相変わらず部活も勉強も頑張ってはいましたが、一年生の頃と比べると笑顔が減ったようには感じていました。
そして、1学期が終わるか終わらないかぐらいの頃—。

娘は突然、登校拒否になりました。

理由を訊いても何も答えてくれません。
若い女性の担任が幾度となく訪ねて来ても、一度も顔を合わせようとはしませんでした。
(実際のところ、頼りになる感じの担任ではなかった。残念ながら)

おそらくはクラスメイトとの間で傷つけ合うようなやり取りがあって、それが引き金となって頑張りすぎた歪みが一気に現れたのではないか—、と。(真相は今も闇の中です)

結局、中学の後半は一度も登校できず、形ばかりの卒業証書は校長室で受け取りましたが、部屋に引きこもった期間自体は半年もなかったかもしれません。

言っても娘が小さい頃は完全に“お父さん子”だったし、父親として考えうる打開策は全て試そうと、僕も僕なりに色々努力しました。

(長くなったので次回【2】に続きます)

中学の半分が不登校だった長女の今【2】

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