こんにちは、挨拶の一言ネタのアイデアが尽きたので、このシステムを止めるかどうかで悩んでいるキタムラフユトです。(知ったこっちゃねーよ)
さて、僕のギター弾き語りライフもいよいよ最後のパートになりました。
きっかけはPTA仲間と仲良くなったこと
上の子が小5で転校した時、野球部に入れてもらって、息子は万年補欠だったけどw僕の方は「野球部親の会」に積極的に参加して PTA仲間と親しく付き合うようになりました。
息子が6年生になった頃、何がきっかけか忘れたけど新しいギターを買ったんですよね。(3台め、かな?)
親子登山の反省会かなんかの時におニューのギターを持ち込んで少しやったら、ある野球部親の会メンバーのおっさんに目をつけられたらしくw、折に触れて音楽の話もするようになりました。
聞けばおっさんは高校生の頃にベンチャーズにハマってドラムを叩いていたんだそうで。
もう長いこと音楽のことは忘れていたけど、一緒に遊ぶ相手がいれば久々にドラムをやりたいと、うっすら考えてはいたようです。
で、息子たちが小学校を卒業するというタイミングで、そのおっさんから声がかかりました。
その小学校では伝統的に、卒業生の親たちだけでやる「お楽しみ会」的なイベントがあり(変な会だな、よく考えると)、そこでおっさんがドラムを叩くから、僕に歌とギターをやってくれないか、と。
断る理由もないので、当時「ひとつ屋根の下」というドラマの主題歌になっていた財津さんの「サボテンの花」をやることにして2、3回練習しましたかね。(おっさんが「サボテンの花」を知らなくて苦労しましたが 汗)
結果は・・・盛り上がりました、一応。w
ドラムと合わせるのは初めての経験で新鮮でしたね。
結婚披露宴のために即席のバンド結成
そのセッションに味をしめたドラムのおっさんからw再び声がかかったのは、さらに数年後のこと。
「今度甥っ子が結婚するんだが、そこで何かやりたいのでバンドを組まないか」と。
すでにベースを弾けそうなメンバーの目星もつけていて(これもPTAつながり)、僕が入れば3人、もう一人欲しいとなったところで、うちの奥さんが保育士をやっていたことから、キーボード弾けるんじゃね?となりw、4人組のバンドでやることに。
おっさんは大昔の曲(グループサウンズとか)しか知らないので(苦笑)、僕が適当に選曲して3曲ぐらいやったのかな?
覚えているのは「愛は勝つ」と「空も飛べるはず」と、あと、、kiroroの「未来へ」だったかな?(うろ覚え)※「全部抱きしめて」だったのを後で思い出した。笑
練習場を確保して結構練習した記憶はあるのですが、どのメンバーも素人に毛が生えた程度の実力なものでw、披露宴の本番までにものになるのか、かなり不安でしたね。
まあ、やりましたけどね、それなりに。
自分たちは夢中でやってるからあまり気づかないけど、結構ヒドかったんじゃないかなぁ。苦笑
それでもドラムのおっさんは親戚の前でいいところを見せられたので気を良くして、このバンド、一回だけで終わらせるのはもったいない、と。笑
親父バンドの短くない旅路の始まり
僕はその時点ですでに40歳になっていましたが、ベースは1個上、ドラムのおっさんに至っては8歳か9歳も上で、文字どおり「親父バンド」の結成と相成ったわけですが、考えてみるとこのバンドでも僕は最年少で(奥さんもほぼ1個上なので)、年下なのに僕がリードしないと何も始まらない感じになっちゃいました。
実はその少し前に、14歳で歌の才能があることに気づいた(笑)娘と、作曲や編曲を趣味にしていた17歳の息子が兄妹ユニットで自主制作のCDを作ったりステージ活動などをしていて、親の僕も刺激を受けたんですよね。
子供達が生き生きと音楽に打ち込んでいる姿を見て、親父も負けていられない—と。
そんな感じでバンド活動に入っていくわけですが、ドラムのおっさんは新しい曲をほとんど知らないし、知っていてもうまく演奏できないしでw、困った僕は、演奏が下手でも目立たないようにオリジナル曲で勝負してみようと考えました。
おっさんが知っている古いヒット曲のカバーもやりつつ、地方色(方言とか)を織り込んだ曲や、中年の悲哀を題材にしたような曲なども作って特色を出そうと考えたわけです。
PTA関連のイベントや地域の集まりの余興など、それなりに演奏する機会はあって定期的に練習をしていたのですが、何か大きな目標があった方が練習にも身が入ると考え、600キャパ程度の地元のホールを借りてコンサートをやることを提案しました。
そして約1年後、PTA仲間に声をかけてもらって後援会組織を作り、ポスター貼りや広告集めやチケット売りをやってもらったおかげで、最初のコンサートはほぼ満員の会場で演奏することができました。
演奏自体はまだまだ下手くそなままでしたが、中年のオヤジ達が必死にやっている姿を見て、応援したいという気持ちも手伝って盛り上がった感じですね。
およそ2年後にはうちの奥さんが家庭の事情でバンドを抜けることになり、代役として息子(20歳)がキーボードで参加することになりました。
音響にも詳しいし演奏もリードしてくれるので、バンドとしても手放せない状態になってきて、本人は助っ人のつもりでいたようですが、気がつけばすっかり正式メンバー扱いになっていました。
親子で同じバンドでやるというのはあまりないと思うので、話題性もありましたね。
コンサートを見て感動したという知り合いが、ギターの新メンバーとして加入することになり、5人組として新たなスタートを切ることになりました。
年に一回のコンサートが定期開催に
コンサートを機にバンドの知名度も上がり、福祉施設や、市や県のイベントにも呼ばれるようになっていきました。
コンサートも2回、3回とやっていくうちに毎年楽しみに来てくれるファンも増えてきて、飽きられないように工夫するのも大変でしたが、その中でぜひやりたいと思っていたのが、自分一人でやる「ソロコーナー」。
もともと一人で弾き語りをやるのがメインだったわけだし、僕の声質は響かなくてそもそもバンド向きではなかったので、ソロコーナーでは我が意を得たりとばかりに好き勝手やらせてもらいました。
また、息子と娘の兄妹ユニットにも少し参加させてもらい、親子共演できたのもいい思い出になっています。(親父が足を引っ張らないようにと必死でしたが…結構失敗しました 苦笑)
次はテレビだと言い続けたリーダー
ドラムのおっさんは年長者なのでリーダーをやってもらっていましたがw、この人が、まだバンドが箸にも棒にもかからないうちから「いずれはテレビに出る」とよく言っていて、何を寝ぼけたことを、そんなのは夢のまた夢だろ—と内心バカにしていたのは私です。笑
バカにしてはいたけど、心のどこかでは“叶うものなら叶えてやりたい”という気持ちもあり、ちょうどその頃NHK福岡が主催の「熱血!オヤジバトル」という番組が出場バンドを募集しているのに目をつけて、一か八か挑戦してみることにしました。
1回2回とフツーに落ちて「やっぱこの実力ではムリだろ」と諦めかけてはいましたが、3年めは作戦を変えて、「実力以外で勝負する」ことにしました。笑
つまり、PTA仲間で結成し、地域に根ざした活動をし、後援会組織も和気あいあい頑張っていて、オリジナル曲の歌詞の内容もオヤジバンドらしさに溢れている—という特色を前面に押し出して強力にアピールしたわけです。
演奏風景の映像も審査の対象ですが、番組の特性としては“演奏技術は二の次”という雰囲気もあったので、作戦が見事にハマり、まさかの地区代表に選ばれました。(やったね!)
初めての九州上陸、2000人ぐらいの観客に派手な舞台セットにテレビカメラが数台。
司会は松尾貴史さんと清水ミチコさんで、ゲストはゴダイゴでした。
生で見る清水ミチコさんはちっちゃくて思ったより痩せてましたね。笑
バトルの結果は当然ながら入賞から一番遠い感じでしたがw、思いがけず全国放映のテレビに出られたなんて、これはもう、リーダーが戯言(たわごと)を言い続けてくれたおかげと言って過言ではありません。笑
帰ってからは地元のNHKローカルにも呼ばれてスタジオで2曲も生演奏させてもらったし、バンドとしてピークの年になりました。
結成10周年がひと区切りに
その後も10周年に向けてコンサートは続いていきますが、さすがにマンネリ感も出てきて、11年めからはコンサートの客数もなかなか満員とはいかなくなっていきます。
僕自身はどんどん新しいオリジナル曲にこだわっていきたいという考えでしたが、他のメンバーは何十回となくやってきた歌謡曲のカバーばかりやりたがって、というより、惰性で楽にこなすことばかり考えているように見えて、僕は全くステージ活動を楽しめなくなったし、練習も昔のように熱心にはやらなくなっていました。
もう限界だと思い、解散をはっきり伝えてスッキリ終わりたいと思いましたが、有力なスポンサーに反対されてそれも叶わず、曖昧にしたまま2016年を最後に活動がストップし、事実上の解散になりました。
結成が2000年だったので16年、よくそんなに続いたものだと思います。
活動の前半は楽しい思い出が多く、失速した後半は悩ましい場面の方が多かった感じですが、得難い経験をたくさんさせてもらったのは確かだし、今は感謝しかありません。
解散から6年が経ち、今はまた、本来の弾き語りという原点に戻ろうと考えてはいますが、年のせいか腰がだいぶ重くなっているのも事実です。
でも、体が動かなくなったらギターも弾けなくなるのでw、その前に最後のひと花を咲かせたいものですね。
3回にわたって長文におつきあいいただき、ありがとうございました。
長文ついでに、バンド結成10周年を記念して作った曲を聴いてください。
「ひすとりー」という曲です。